眠くて不機嫌な長女をお風呂に入れる。
ギャーギャーと泣き喚く彼女を洗うのは大変なので、
一計を案じる。
「あれっ?」突然大声を出してみる。
驚いて泣き止む長女。
「今、アンパンマンが来たよ!」
「えぇ~っ、あんぱんまん?」
さっきまでの大泣きが嘘のように笑顔になる。
「チビが泣いてるからきてくれたのかな?」
このスキに石鹸を塗りたくる。
「子供だまし」というと聞こえが悪いのだが、
子供というのは本当にうまいこと騙されてくれるものだ。
こんな手が使えるのもいつまでだろうか。
長女は机の回りを走りまわるのが好きだ。
走る分にはいくら走ってもらっても構わないのだが、
問題点はパパと一緒に手を繋いで走りたがることだ。
10周くらいなら付き合えるが、子供は無限に繰り返すので、体力にも限界がくる。
そこで。
こんな手法を編み出した。
俺は机の端に立ち、長女と手を繋ぐ。
長女は俺を中点とし二人の腕を半径とした円を走る。
彼女が後にきたタイミングで手を持ち替えないとならないが、
ほとんど動く必要がない。
「おお、これは楽だ!」
それ以降、この遊びはラクダと命名され、多用されている。
「ぱぱ、らくだして!らくだ!」
日本の未来を危惧したオジサマ達が
「子供は3人以上つくれよ」
と若い世代に言っている場面によく出くわす。
俺が言われるときもある。
人口増加が問題となっているこの時代に、
なぜそんな発言が出てくるのか、理解できない。
自分の所属する団体の利益のみを考え、
グローバルには損失を与える思考。
そういうのをエゴイズムというのではないだろうか。
だいたい今の日本が悪い状態にあると言うのならば、
それは貴方達の責任なのではないか?
まず「すみませんでした」と頭を下げるべきではないのか。
「つくれよ」ってなんなんだ。
最低限「つくってください」とお願いすべきではないのか。
そもそも個人の家庭のありかたに口を出すのは、
失礼だと思わないのだろうか。
しかも女性にそれを言ったら完全なセクハラでもある。
ご本人達は気がついていないようだが……。
酒の席で特に多く出る、この種の無神経なオジサマトークには、
正直なところ、ほとほとうんざりしている。
森博嗣は新刊「大学の話をしましょうか」の中でこう言っている。
「そんなことでは日本の未来は危ない」といった意見もあちこちで聞かれますが、いるんですよね、なにかというと日本の未来を危惧する人たちが……。
(中略)
「このままでは将来じり貧になる」と言う人には、「じり貧になっても良いのではありませんか」と笑って言ってあげることにしましょう。こうして、豊かさも経験し、また少し奮起して今度は勉強に専念する。いろいろな状況を経験することで、文化は築かれていくのだと思います。
少子化の問題がよく取り上げられます。子供が少なくなっている。日本の人口はどんどん減りつつある。
(中略)
人口が減ってはいけないのでしょうか?地球上の人間は増えすぎました。人口を増やすことが「発展」でないことは明らかです。環境を維持するためにも、将来は人間の数は絶対に減らさなければならないのです。日本の人口が減っても、それで日本が滅びるわけではありません。
森博嗣は40歳代。
こんな40代がいるのなら、この世代も大丈夫だ、と嬉しくなる。
やはり年齢ではなく、個人で見なければ、とも思う。
森博嗣の発言の中で、最も共感できるのは、
「下の世代を肯定する」姿勢だ。
今の学生たちは、小さいときから両親や周りの大人から「さあ、これをご覧なさい」を浴びせられて育っているのです。そんな中から、自分がすすんでものを見つける体験をすることは、確かに至難の業かもしれません。好奇心がないのではなく、好奇心を発揮する暇がない、という世の中ではないでしょうか。したがって、大人が知らないゲームや、新しいメディアへ、どうしても興味は向かう。僕は、ゲームをしている子供って、好奇心旺盛だと思いますよ。
こんなことが言える40代に、俺もなりたい。
ずっと弾くことを夢見ていたヴァイオリンを、今月から習いに行っている。もうレッスンが2回終了したが、まだ弓の使い方のみで、全然曲は弾けない。1時間練習しただけで右手がつりそうになる。しかし、これで良いのだ。基礎からじっくりやってしっかり身につけていこう。
「G線上のアリア」と「情熱大陸」を弾いてみたいのだが、いつになるかな?
写真は習いにいっているヤマハで貸し出してくれる、サイレント・ヴァイオリン。
エレキギターのようにアンプにさして使用する。イヤホンで練習すれば音が出ないので、近所迷惑にならないのです。