先日、『中小企業診断士』で検索していたら、dubian2.4さんの『中国・上海での戦い(企業構造改革編)』というブログに辿りついた。検索の目的とは違う内容に思えたので、すぐに立ち去ろうと思ったのだが、何か惹かれる部分があり、ちょっと読んでみた。
その中の、『
誰のために働くか』という記事にとても共感した。俺が思っていることを、そのまま言ってくれている方がいた!という感動があった。
私が思うに、ほとんどの大企業に勤める人は、自分が仕事でつらい思いをしているのを、会社のために働いているんだ!とか、会社で制度が悪かったりすると、人事が悪い!というが、そういう人たちに是非言いたい。
仕事がつらいからといって仮想の相手を作って、それを非難するのはやめるべきだ。自分がやっている仕事に対して、自分以外の人のためにやっていると勘違いするのもやめるべきだ。
うちは中小企業なのでその違いはあるだろうが、人事担当者として、こういう人物にいかに「気付き」を与えるか、というのが常の悩みである。しかし、その思考に陥っている人からすると、俺にこの部分を指摘されても、「人事の責任逃れ」としか受け取ることが出来ないだろう。違うのだ。そうではないのだ。俺達はもちろん社の制度を良くすることや、人事部門としてのレベルアップに力を尽くす。それは当然だ。しかし、お互いの根底に流れるものが「主体性」であり「With Up」でない限り、一方通行にしかならないのだ。
dubian2.4さんは文章をこう終わらせている。
仕事をやらされていると思ってしまえば、その仕事はもう辞め時なのかもしれない。
そう。まさに、その通り。
仕事は自分の目的のための手段。個人は仕事を使うべきなのだ。逆に仕事に使われているとしたら、そんな仕事は、辞めるべきだ。「使う側」に立つか「使われる側」に立つか、その差は視点の差でしかないと思う。